【歴史】邪馬台国「大和説」、最有力候補地「纒向遺跡」調査の考古学者・石野博信さん「やっぱり大和かなあとなっている感じやね」ジョークです(*´ω`*)

歴史
07 /11 2021
ロマン

1 名前:樽悶 ★[sage] 投稿日:2021/07/11(日) 08:19:08.82 ID:ncHfGALn9.net
考古学ファンから邪馬台国所在地論争の盛り上げ役としても親しまれてきた石野さん=奈良県橿原市(柿平博文撮影)
https://imgur.com/OCMbCA2.jpg

江戸時代からいまなお続く邪馬台国の所在地論争。歴史ロマンあふれる論争の盛り上げ役として知られるのが、畿内説を唱える考古学者の石野博信さん(87)。邪馬台国の最有力候補地、纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)の最初の調査員だ。半世紀前の昭和46年、奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)から出向していた奈良県庁で開発計画を知り、調査の必要を訴えて自ら発掘に乗り出した。若き日のすさまじい考古学熱が周囲を動かした。

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明智光秀、実は本能寺に行っていないことが判明ジョークです(*´ω`*)

歴史
01 /05 2021
1 名前:[sage] 投稿日:2021/01/03(日) 22:27:35.63 ID:QE5Si8g40●.net ?PLT(14121)
https://img.5ch.net/ico/pc3.gif
「光秀ハ鳥羽ニ」、最期の言葉も 本能寺の変に新情報

 天下統一を進めていた織田信長を支えた明智光秀が、主君を裏切った本能寺の変(1582年)。事件の87年後にまとめられた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」には、
参加した人物の証言として、光秀本人が本能寺に行かなかったことが書き残されていた。複数の研究者によれば、この古文書の記述は信頼性が高いとみられ、
今後の研究を通じて、本能寺の変に新たな解釈が加わるかもしれない。

 金沢に現存する「乙夜之書物」は、加賀藩主・前田家に仕えた兵学者、関屋政春(せきやまさはる)が記した自筆本だ。
全3巻のうち本能寺の変のエピソードが記された上巻は1669年に成立し、関屋家に代々伝わってきたとみられる。
前田家に所蔵が移ったが、戦後の1948年に前田育徳会尊経閣(そんけいかく)文庫から金沢市に寄贈された。

 今回、詳しく読み解いた富山市郷土博物館の萩原大輔主査学芸員(日本中世史)は、「乙夜之書物」には「光秀ハ鳥羽ニヒカエタリ」と、
光秀が本能寺に行かなかったことが記されているほか、本能寺の変に関わる以下の4点が新しい情報とみている。

 ①光秀重臣の斎藤利三(としみつ)が事件前日の6月1日昼に亀山城(京都府亀岡市)を訪れ、光秀謀反の決断を知る
②光秀軍の亀山城の出発は1日の日暮れ前
③光秀軍の兵たちが本能寺に向かうことを告げられたのは、真夜中に休憩した桂川の河原
④(2日早朝)信長側の光秀軍襲撃の第一発見者は寺で水をくむために門外に出てきた召使。信長は乱れ髪で白い帷子(かたびら)姿。

https://www.asahi.com/articles/ASP136SHXNDZULZU00D.html

http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1609680455/

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古代史最大の謎「邪馬台国の所在地論争」に歴女が少ない理由…出版界では九州派が優勢?ジョークです(*´ω`*)

歴史
12 /06 2020
1 名前:樽悶 ★[sage] 投稿日:2020/12/04(金) 22:37:09.39 ID:H2vR41Nw9
 邪馬台国はどこにあったのか――。日本の古代史を語る上で永遠のテーマの一つだ。だが、古代史研究の学界は旧態依然とした“男社会”で、女性の視点がほぼ皆無だという。そうした中で新しい風を吹き込む一人の女性がいる。各媒体で人気の「連載コラム」の著者に聞くシリーズ、第3回は古代史の総合雑誌『季刊邪馬台国』(梓書院)で連載中の「オトナ女子のコラム 晴れ、ときどき、古代史」の著者・藤江かおり氏だ。(フリーライター 岡田光雄)

● 論争が続く九州説と畿内説 出版界では九州派が優勢?

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